コタ・ビアクの北東4キロにある日本洞窟は、第二次世界大戦中に何千人もの日本兵の基地および隠れ家として使われました。そこからのトンネルはパライの海岸まで3キロ続くと言われていますが、地震で通行不能になりました。1944年、アメリカ軍が洞窟の天井に穴を開け、ガソリンの入ったドラム缶を落とし、上から爆撃し、推定3000人の日本人が亡くなりました。
コンクリートの歩道から階段を下りると、天井に穴が開いていて木の根が垂れ下がっている不気味な最大の洞窟があります。チケット売り場の周囲には、日本とアメリカの武器、装備、写真のコレクションが展示されています。
アンタクシー町から15,000ルピアかかります。そうでなければボスニク行きのタクシーそして、洞窟まで700メートル続く標識のない道で降ろしてもらうように頼みます。約300メートル上り坂を進むと、頂上に着くと、日本軍の砲台が空港を見下ろしています。ここがすべての戦闘の中心でした。