浪費家であったジョアン 5 世は、このバロック様式の宮殿にブラジルの金の壺を注ぎ込みました。この宮殿は、4 平方キロメートルという途方もない広さがあり、修道院と大聖堂で構成されています。1717 年に着工し、1746 年に完成したこの豪華な模造大理石の建物は、イタリアで修行し、明らかにポルトガルのバチカンのような建物を念頭に置いていたドイツの巨匠フリードリヒ ルートヴィヒの手によるものです。
費用は一切惜しまれず、約 45,000 人の職人が 1,200 室と 2 つの鐘楼の建設に携わりました。鐘楼には世界最大の鐘のコレクション (合計 97 個、そのうち 92 個はオリジナル) が収められています。
1807 年にフランスがポルトガルを侵略したとき、ジョアン 6 世と王族はマフラの家具のほとんどを持ってブラジルへ逃げました。フランス軍が 20 人のフランシスコ会の老修道士しか見つけられなかったときの期待外れを想像してみてください。ジュノー将軍は修道院に部隊を駐留させ、続いてイギリスのウェリントン公爵とその部下が続きました。それ以来、宮殿は軍の避難所となりました。今日でも、その大部分は軍のアカデミーとして使用されています。
ガイドなしで見学すると、枝角が散らばった狩猟室、印象的な診療所、カラフルなリオス石で覆われた豪華な祝福の部屋、気が狂った修道士のための壁で囲まれたベッド(あの廊下のせいで気が狂ったのかも!)などの宝物を目にすることができます。最も素晴らしいのは、長さ 83.6 メートルの樽型天井の図書館で、15 世紀から 18 世紀の書籍 10 万冊以上を含む約 36,000 冊の本が収蔵されています。その多くは修道士の手による製本です。この贅沢さのすべてにふさわしいおとぎ話の結末として、それらが徐々にネズミに食い荒らされていく様子が描かれています。双子の鐘楼で有名なバシリカは、それに比べると驚くほど控えめで、多彩な大理石の床とカラーラ大理石の彫像が特徴です。