フランスのベルサイユ宮殿に対抗するために建てられたアンリ・クリストフのサン・スーシ宮殿は、1842年の地震で破壊されて以来、放置されたままです。何年も放置されたため、建物は崩れかけた優雅な姿になっています。1813年に完成したサン・スーシ宮殿は、単なる宮殿ではありません。病院、学校、印刷所、軍隊の兵舎を収容し、クリストフの王国の行政首都として設計されました。
宮殿へは、かつては両側に青銅のライオンが飾られていた大階段から入ります。王座の間、宴会場、個人の居室など、一連の部屋に入ります。壁は今はむき出しのレンガですが、豪華なタペストリーや絵画が掛けられていました。これらはすべて、ハイチ人がかつて奴隷であったにもかかわらず、今では文化的な国民であることを示すためにデザインされたものです。宮殿はもともと 3 階建てで、大きなフランス風の窓がありました。クリストフは居室から、ロシア皇帝やイギリスの奴隷制度廃止論者ウィリアム ウィルバーフォースと文通していました。
宮殿の裏には、プールを含む王と王妃の観賞用庭園の跡があります。片側には病院の跡があり、反対側にはダホメーから解放された奴隷の王立部隊の本拠地であった古い兵舎があります。
宮殿のすぐ上には、ベイビー・ドック政権下で建設された、ざっくりと舗装された道路が山を登ってシタデルまで続いています。