プエルトリコ南東部のいたるところに、砂糖産業の崩れかけた記念碑が見られるが、バイア・デ・ホボスに隣接し、あまりに人里離れているため観光地図にも載っていない静かなアギーレほど、亡き「砂糖王」を悲しく思い起こさせるものはない。今は廃墟となったこの砂糖の町は、20 世紀初頭には製粉所、会社の店舗、病院、劇場、ホテル、ボーリング場、社交クラブ、ゴルフ場、マリーナ、役員邸、狭軌鉄道が揃い、活気にあふれていた。
ここはセントラル・アギーレ・シュガー・カンパニーの計画された私有地で、1960年頃の最盛期には1日あたり12,500トンのサトウキビを加工していた。砂糖価格の下落、海外との競争、生産コストの高騰により、同社は1990年に倒産し、アギーレは事実上のゴーストタウンとなり、奇妙な観光地となった。コミュニティの錆びた線路はそのまま残っており、雑草が生い茂った木々も残っている。ゴルフ場。