日本軍による真珠湾攻撃の後、11万人以上の日系アメリカ人が全米10か所の収容所に収容された。約1万1千人の日系アメリカ人が持ち運べるだけの荷物だけを携えて西海岸の住宅からこの薄っぺらなタール紙の部屋に移り住み、3年間の監禁生活を最大限に活用し、すぐにワイオミング州で3番目に大きな町となったこの地に新聞社、2つの劇場、高校を設立した。
元の建物は元病院と煙突だけが残っているが、記念碑と兵舎風の説明センターでは、60年前に外国人嫌悪にとらわれた米国がいかにして自国民を見捨てたかという強烈な物語を伝えている。センターはコーディの北東14マイルのところにある。